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昔は通信ケーブルや
スーパーファミコンの拡張端子
今では家になるのかな。
それがあると重宝された。
それは自分の力ではなく
与えられたものであり、物質的なモノであった。
それがあると重宝される
モノがあると集団の中で
居場所を得られるような気になれることを
幼少期に学習してしまった。
自分自身という個人の個を伸ばし
自分自身で集団の位置を獲得するのではなく
モノによって集団の位置を獲得するという。
結果自己の研鑽を怠り
薄っぺらい自分ができあがる。
なにもない空っぽの自分。
モノが無い場面では
何一つとして輝けるところない自分が。
そのことに気づくのに20年以上かかる。
薄い自分に存在意義は
考えれば考えるほどみあたらない。
もはや自分で道を歩いているというより
いろいろな渡世の義理でしか生きていない気すらする。
何かの拍子に見切りをつけてしまいそうな
それでも踏ん切りはつかないような
結局中途半端。それもまた自己嫌悪。